会社沿革
2018年 | 東南アジアパーム油工場拡販を目指し、マレーシア国PMT社とのJV PMT SAITO社を設立。 |
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2015年 | ベトナム(ホーチミン)に代理店を開設。 インド(ムンバイ)に代理店を開設。 |
2013年 | 大阪出張所を閉鎖し、東京本社と統合。 |
2011年 | ADSシリーズ大型機完成(ADS-20000)。 |
2010年 | 高効率デカンターSIDシリーズ販売開始。 |
2007年 | 大型デカンター(SKD-650)完成。 GMP医薬用ADSシリーズ化完成。 工場を横浜から昭和島に移転。 |
2005年 | バンコクにサービスメンテナンス会社 3S Engineeringを開設。 |
2003年 | 韓国(ソウル)に代理店を開設。 |
1998年 | デカンターメーカーを吸収し、デカンターの製造を開始。新機種の販路を拡大する。 |
1995年 | 「斎藤光生」三代目社長に就任。工場を横浜市に移転。 |
1994年 | パイロットプラント用スチーム滅菌モデル完成。 |
1992年 | ADSシリーズ大型機完成(30,000リットル/時)。 |
1987年 | 気流乾燥機メーカーを吸収、サイクロンドライヤーの製造販売を開始。大阪出張所を開設。 |
1979年 | パーム油用ノズルスラッジセパレーター完成。クアラルンプールにマレーシア代理店を設置。 |
1978年 | 台北に台湾(中華民国)代理店を設置。 |
1976年 | 東南アジア地域に販路を拡大し、バンコクに泰国代理店を設置。 |
1965年 | スラッジ自動排出型、国産第一号機を完成。 |
1961年 | 水洗式澱粉用遠心分離機完成。実用新案取得。 |
1955年 | 澱粉精製濃縮用遠心分離機完成。 |
1951年 | 初代社長「斎藤国男」死去にともない「斎藤真」二代目社長に就任。舶用油清浄機の製造販売再開。 |
1950年 | 石油精製用アシッドスラッジセパレーター完成。 |
1949年 | 高濃縮型酵母分離機を完成。 |
1941年 | 社名を斎藤遠心機工業株式会社に改名し株式組織とする。現在地に本社第一工場を落成。大阪及び台湾(嘉義)に営業所を開設。 大田区六郷に鋳物工場、品川区大井に板金工場を開設。 |
1937年 | 酵母分離機(ノズルセパレーター)完成、特許取得。 |
1936年 | 三相分離機(ノズルスラッジセパレーター)完成。社名を斎藤製作所とする。 |
1934年 | 斎藤国男 日本遠心機研究所の社名の元に、国産第一号の分離板型遠心分離機を完成。特許数件を取得。 |
1926年 | 創業者 斎藤国男 遠心分離機の研究に着手。 |